玉垂宮について
久留米市大善寺町宮本に鎮座する玉垂宮は、古来、筑後国三潴庄鎮守、高良御廟院大善寺玉垂宮と称し、盛時には衆徒四五坊社領三〇〇〇町を有した朝野の崇敬あつい古社であります。祭神は、玉垂命(藤大臣(とうのおとど)・高良玉垂大菩薩とも称した)八幡大神・住吉大神で創建は古く、凡そ一九〇〇年前の創祀と伝えられています。
神宮寺の高法寺(弘仁五年(八一四年)大善寺と改称)は、天武天皇ごろの白鳳元年(六七二)法相宗の僧、安泰和尚によって開基されました。
このように、大善寺の玉垂宮は長い間、寺院と神社が一体的に祀られた典型的な神仏習合の神社でしたが、明治二年(一八六九年)の廃仏毀釈により大善寺は廃され玉垂宮のみ残り、現在に至っています。しかし往時の大善寺の遺構である鐘楼をはじめ阿弥陀堂(鬼堂)や旧庫裡が現存し、神仏習合時代の面影を色濃く残しています。
傘橋記念塔
拔河曳橋とよばれた天下の名橋だった神幸橋は、一本のからかさを開いた姿に似ていたので「傘橋」と名付けられたが、惜しくも嘉永四年の大洪水で流失した。境内には当時の石柱を記念塔として残されている。
生目八幡宮
目の神様として知られる社は、もと西小路区の氏神の下の境内にあった。一説では平景清が平氏沈落後、復讐の念を絶ったために抉り取った両目を埋めて祠を建てたのがはじめと伝えられる。
佐野神
縁結び、夫婦和合の神として根強い信仰があり、最近は幸を呼ぶ神として合格祈願や、商売繁昌等の勝運祈願に訪れる人も多い。
大善寺旧庫裡
明治二年の廃仏毀釈によって大善寺は破却されたが、慶応二年の建築で新しかったので残された庫裏は、貴重な建物として市指定の文化財となっている。
鬼夜について
毎年正月七日に行われる鬼夜は、数百人の裸の群像と日本一といわれる六本の大松明による壮観な追儺の火祭りで、この地方の年頭を飾る代表的な祭りで、国の重要無形文化財に指定されており、日本三大火祭りの一つといわれています。
この行事は、大晦日の夜から正月七日までの鬼会(おにえ)といわれる行事の中、最後に行われるもので鬼夜(おによ)とよばれています。鬼夜の行事は、昼の鬼面尊神の神事と種蒔き神事。そして夜の大松明廻しと鉾面神事・鬼の堂回り行事となります。中でも鉾面神事は、祭神が妖族退治をした有様を示すものといわれ特色ある行事です。夜の行事を飾る大松明廻しは、直径1m余り、全長13mの六本の大松明が、裸の若者たちによって支えられ、火の粉を散らしながら本殿の周りを勇壮に廻ります。この間鬼役は姿を隠したまま、シャグマの子供たちに囲まれて鬼堂の周囲を七回半回り、社前の霰川で禊をして神殿に帰るという珍しい行事で、我が国の鬼の民俗を考える上で極めて示唆に富む行事といわれます。
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